【心揺さぶるストーリー!理学療法士×作家のタナカンによる作品集!】
小説の中では様々な背景や状況、そして異なる世界で生きる人々の物語が織りなされます。その中には、困難に立ち向かいながらも成長し、希望を見出す姿があります。また、人々の絆や優しさに触れ、心温まるエピソードも満載です!
何だか久しぶりに感じますね。お元気でしたか?
おいおい。他人行儀がすぎるな。人工呼吸器をつけた患者の離床ができたみたいじゃないか。
珍しく褒めているんですか?
悪いか?
石峰優璃はそう言って尊大に笑った。いつものような笑みは変わることはない。どこか安心した面持ちで山吹薫は主任の隣へ腰掛ける。石峰は穏やかに笑みを浮かべる。意図を読ませないように。
今日は重要なことを伝えたい。すべての患者が想いを叶えて退院するわけではない。個人的な感想を言わせて貰えば、終末期という考えが急性期に必要だと思う。私自身がまだ答えを出せていないのだけどな。
終末期ですか?なんだか急性気で働いていると真逆な印象を受けますが、いつもの通り意味はあるんでしょうね。その点は信頼してますよ。
はっは。それは責任重大だな。ではまず終末期とは人によっていろんな受け取り方があることを前提にして説明させてもらう。それを念頭にきておいてくれ。
朝日が差し込み石峰の横顔を照らした。照らされた頬はひどく白い。よくできた陶器の人形のように陰影が輪郭を確かにした。
終末期ですか。改めて考えてみてもイメージできるようでイメージできませんね。
そうだな。まず定義を教えようか。公益社団法人全日本病院協会が出している「終末期医療に関するガイドラインーよりより終末期を向けるためにー」の中で終末期とはこう定義されている。①複数の医師が客観的な情報を基に、治療により病気の回復が期待できないと判断すること。②患者が意識や判断力を失った場合を除き、患者・家族・医師・看護師等の関係者が納得すること③患者・家族・医師・看護師等の関係者が死を予測し対応を考えること。だな。以上を踏まえて終末期とは人生の最後の時期を指すことだよ。
よくドラマなんかで、余命を通告されるシーンがありますね。小さな病室で医師と患者が向かい合うシーンですが、そうではなさそうですね。
もちろんそれもあるだろうが、私が経験する中では医師が単独で決めるものではなかったよ。例えば我々の働く救急の現場では致命的な場合にはすぐに終末期となる。最善を尽くしても難しいという状況だな。しかし今、山吹が言ったように癌の告知のような場合はまだ長い時期がかかる。脳梗塞の後遺症ならばずっと先だ。
つまりは定義にある通りに簡単には決められない。患者が終末期を迎えても、それが本当の終末期であるかは判断するには難しい。容易に決めることができるものではない。ということですか?まだ何もわかりませんが。
まずはそこからだよ。と石峰の意図を読ませぬ幼い笑みに、山吹は背筋から足元にかけて不安が流れていく。指先が少しだけ痺れた。
山吹薫の覚書108
・終末期という考えは急性期にも必要な考えである。
・終末期を決定するのは医師だけではなく、多くの人が関わるべき問題である。
・終末期の時期は疾患やその人の状態によって違う。誰だってそうだ。
【告知】
発売日から即完売の今話題のこの作品!現職の理学療法士が記す本格リハビリテーション小説『看取りのセラピスト』が今熱い!Amazonから『看取りのセラピスト』で検索をぜひよろしくお願い致します。こちらからもどうぞ。
【〜目次〜】
『内科で働くセラピストのお話も随分と進んできました。今まで此処でどんなことを学び、どんな事を感じ、そしてどんなお話を紡いできたのか。本編を更に楽しむためにどうぞ。
【Tnakanとあまみーのセラピスト達の学べる雑談ラジオ!をやってみた件について】
雑談で学べるラジオも好評放映中!たまにはまったり学んでみませんか?
コメント